昔、すごく昔だった。幼稚園だろうか。もしかしたら小学生の低学年だったかもしれない。
リビングで母がテレビを見て泣いているのを初めて見た。
いや、初めてではないだろうけど、私が覚えている限りではそれが最初だというだけ。
「どうして泣いているの」と私はきいた。
「テレビをみて感動したからだよ」というような答えが返ってきて首をかしげた。
「感動をしたら泣くふりをしなければならないの」と私は尋ねると次は母が首をかしげた。
どういうこと、と聞かれて私は当然のように「大人は泣かないんでしょう」と言った。
母は笑って「大人だって泣くんだよ」と言ったけれど
「じゃあなんで私には泣いては駄目だというの。泣かないと偉いというの。大人はそれができていないの」
と文句のようなことをずらずらと並べ替えした。
そんなことを言っても確か根本的には「大人になったら泣かない体になる」のだと思っていた。
テレビでの涙も全部嘘だと思っていたし、信じられるのは子供の涙だけで、すべて同情していた。
それほど、子どもにとって大人というものは絶対的な、完璧なものなんだろうな。
最近の子供は賢いけど、どこまで考えを巡らせられるのだろう。
大人は子供がある程度理解できると思って当然のように良いことと駄目なことを教えるけど
本当に些細なことで勘違いが生まれて、それが心に、どちらかというと頭に根付いてしまうんだろうと思う。