進歩逃走論


いわゆる「本当の私を知らない」発言が歳をとるにつれて周りで増え始めていて、
前は「そうだよなあ」とか「私もそうだなあ」とか思っていたわけだけれども、
そろそろその発言にも飽きてきた、というか、言い訳にさえ聞こえるようにも感じる。


「本当の私」というのは「過去の私」なわけで、
つまりは「外向きには良い雰囲気がんばって作っているけど昔の私はひどかった」という自白なわけだ。
それは、「過去の私は親しくなっていくにつれて嫌な私が出てくる」という自白にもなる。
要するに「本当に嫌な奴なんだけどこれからも仲よくしてくれる?」という遠まわしな言い方。


けれど、それを言ってどうするというのだろう?
本当の私ではない私が今現在存在するということは、新しい私が生まれてきているということ。
正確には、過去の私の上に修正を入れるように新しい自分を置き始めている。
自分の顔は、たくさんの仮面を上へ上へと重ね塔を築き続けているのである。
よって、昔の自分の仮面を一枚抜き取れば自分自身崩壊する、つまり抜き取ることは不可能で、
過去の自分を修正するプログラムを上から書き加えている以上、過去の自分を消すことはできない。
一枚一枚はがしても、出てくるのは何かを得る前の自分、結局は失っていくのである。
「過去の自分があるからこそ今の自分がある。」
このことばはそういうことで、過去を言わなくても今現在の姿をありのままに見せれば
自分自身の像は相手に伝わるものだと思う。
そう信じている。